ひろ日記~心の病を抱えながら毎日少しの幸せを見つける方法~

うつ病、パニック障害、強迫神経症を抱えるひろが日々のあれこれを綴り闘い続けるブログ

苦しい

なんかね。今年が辛いことばかりで苦しい。


今年を今の記憶を持ったままやり直せたらと何度も考えてしまうのです。
何年前からやり直したら今年の悲しい事を全部変えられる?
ねぇ。何年前なら変えられるの?


今年、たくさんの方が亡くなりました。
私のずっと心に引っかかっていた親友のお父さんとの関係を修復出来ないままお父さんは癌で亡くなりました。私はまた同じ過ちを繰り返し大切な人ともう2度と会えなくなってしまいました。色んな自分に対する言い訳。コロナだったから。病気が発覚してコロナにかかると重篤な状態になってしまうから。いつまでそんな言い訳をしながら生きていくのだろうか。



三浦春馬くんと竹内結子さんが亡くなったのも私の中で大きな事でした。竹内結子さんが亡くなったという記事を見た時、今年の色んなものが私の中で完全にキャパオーバーして過呼吸になりました。その日からテレビを見なくなりました。



なんで、あんなに人に愛されていた人が自ら命を断ち、こんな何も無いどうしょもない自分がのうのうと生きているのか。こんな人間早く死んだほうがいい。生きていたって誰一人喜ばない。そうずっと思ってしまってでもそれを言えば否定されてしまう。そうなったらどんどん苦しくなっていくから誰にも話せないまま過ごしてきました。



語弊があるといけないのだけど、無能な人間は死ねと言っているのではなく、自分を殺したいのです。他の人たちの命は尊いもので、大切にしてほしいと心から思うのですが、自分に関しては尊くも何もなく死ねばいいと思っています。



だけどね。芸能人とて人間だから悩みもするし苦しい事だらけかもしれない。どんなに苦しくても仕事となったら笑顔で対応しなくちゃいけない。それ故の苦しみは凡人には分からないものだと思う。
相談できる人が居なかったのかな?とか色んな言葉がありますけど、自ら命を断つ時って色んなものが蓄積されて絶つ元気とタイミングが合ってしまったのだと思う。いつもトリガーには指が掛かっていてそのタイミングが合えばそれを引く。それだけのこと。と未遂で終わりましたが経験者は語るです。
絶つときは突然です。誰にも相談しません。そんな素振りも見せません。だから周りの人は自分を責めなくていいです。
でも、たくさんの後悔を生みます。あのときこうしていれば助けられたのか、あの時しんどいサインだったのでは、その日に戻って一緒にいてあげていれば。



なんかね。彼らが今、後悔無く彼方の世界で楽しく過ごせてるなら良いなって思う。あちらの世界でしか会えない人もいるだろうし、今世の苦しみから解放されたのならそれが良かったのかなとか。
そう思わないとやってられないでしょ。
そう思わないとこの胸の苦しみが強くなるだけでずっと苦しいままなので。



出来るだけ写真とかドラマとか見ないようにしてる。それが正しいのかどうかは分からない。後で後悔するかもしれない。でも、この苦しみを乗り越えられる気がしないのです。何度も何度も声を殺して布団の中で泣いたり、呼吸が苦しくなったり。どうやったら死ねるかをずっと考えてしまう。誰にも迷惑かけない死に方ならいいのではないか。心配はかけるけど迷惑がかからない死に方。行方不明になったらいいのでは無いか。それか樹海で死んだら探しようがないのではないか。とか。



病気が新たに発覚して食事制限をしているのですが、食べるのも嫌になったり食事制限なんて死にたいのになんの為にするのか。なんで食べたくもないのに食べるのか。死にたいと願うのに食事制限とか飲み薬とかなんで意味のない事をするのか。



私が今何も出来ないのは、相方がコロナの影響でお家で仕事をする事となり私は至って普通の顔をして過ごしている。何もしたくないとは伝えてあるけど何が原因なのか伝えてはいません。伝えたところで理解しようがない。なので眠剤とかを多めに飲んで朝も起きてまた眠剤を飲んでいます。こういう時、フラッシュバックが酷くなり思い出したくもないことが出てくる。子供の泣き叫ぶ声とかお母さんの怒鳴り声とか外で聞くと発狂しそうになる。



今私が死んでないのは相方のためでは無く親友のためでもない。野良猫にご飯をあげているから。だいぶ前から毎日あげている。その子達がいなくなったら私は死ぬと思う。私があげなくても誰かから貰えるのだろうけどなんとなくあげないとと結局毎日あげ続けている。こんな自分でも毎日同じ時間に同じ場所で待ってるあの子達を見捨てるわけにはいかないのです。



長々書いたけどすみませんね。
心がグルグルしちゃって何から書いていいのかよく分からなくて。読みづらくてごめんなさいね。
また生き延びていたら会いましょう。
あと、この苦しみを超えられたら書きます。
では。